谷口ジローの素晴らしい漫画『遥かな町へ』では、主人公がある朝、家族のもとを離れ、仕事へ向かうために列車に乗る。そして車内で眠ってしまう。目を覚ますと、着いた場所がどこなのか分からない。やがて彼は、自分が十歳だったころの過去に戻ってしまったことに気づく。
2018年、初めて日本に到着したとき、私はそれとよく似た感覚を覚えた。言葉はまったく分からなかった。しかし空気は知らないものではなかった。日本人の態度も、通りの匂いも、風の音も、赤坂を照らしていた光も、知らないものではなかった。長い時間を経て、私は自分の家に戻ってきたような気がした。
その年の旅のあいだ、私のアパートを貸していた友人が、私が帰国したあとに『遥かな町へ』を贈ってくれた。私はそれを初めて読み、夢中で読み尽くした。輪は閉じたのだった。

今回の旅で、私は新しいものを発見したわけではない。あるいは、ごくわずかしか発見していない。私は、最初の四回の旅で好きになった人々や場所に、もう一度会いに行ったのだ。この感覚は、書いていても本当には分かち合うことができない。それほど強いものだからだ。それは感情以上のものだ。感覚全体に押し寄せてきて、私のものの見方をひっくり返し、人格までも根本的に変えてしまう何かである。
日本にいると、私はもう同じ人間ではない。私は、自分でもよく知らない別の人生の誰かになっている。その誰かを、一歩ごとに、出会いごとに発見していく。私にはもう年齢も、名前も、国もない。私は、その瞬間が差し出すものそのものになる。学びたい、発見したいという欲求には、恐れも限界もない。私は考えない。測らない。私は瞬間であり、動きである。
だからこそ、私はこの記録を書き続けているのかもしれない。以前の人生と、そして愛する人々とのつながりを保つために。私は地球に語りかける Major Tom のようなものだ。境界を越え、奇妙なかたちで漂い、今日は星々までまるで違って見える、と。
今朝、日本に住む中国人の友人が私にこう書いてくれた。「一番大切なのは、自分自身を愛することを学ぶことです」。

彼女は正しい。それは、他者を愛し、人生を愛するための最良の方法である。ナルキッソスのように、自分を見つめすぎて現実との接点を失うことではない。ありのままの自分を受け入れ、そこから最良の蜜、最良のネクターを引き出すことなのだ。
日本は私にそれを与えてくれた。新しい自分を発見することで、私は古い自分を少しずつ好きになり始めた。その新しい自分は、むしろもっと古い存在のように思える。仏教と神道に育まれた考えを持つ日本の友人たちによれば、それは前世から来ているのかもしれない。
その前世のしるし、はっきりとした痕跡は、金沢にある。私は今、この言葉を病院のベッドの上で書いている。この場所で身動きが取れなくても、同じ病室の日本人の隣人が毎日、朝も昼も夜も途切れることなくいびきをかき、食べるときだけ目を覚まして、ぞっとするような吸う音や飲み込む音を立て、あるいは看護師を呼んで、時間にかかわらず大きな声で話していても。それでも、この弱さと無力さの中で、言われていることのごく一部しか理解できなくても、日本は私を落ち着かせてくれる。
足を折る前、金沢の通りを歩いていると、見知らぬ人たちが私に「ありがとう」と言ってくれた。何度もそういうことがあった。彼らは私とすれ違い、私を目で追い、それから親切で穏やかな笑顔を浮かべ、親指を立てて “Thank you” と声をかけてくれる。戻ってきてくれてありがとう、ここにいてくれてありがとう、そういうことなのかもしれない。私には分からない。けれど、胸を打たれる。あなたは、見知らぬ人から「ありがとう」と言われることがあるだろうか。
時には、若い女性たちが微笑み、離れていきながら手を振ることもある。唇に小さな笑いを浮かべ、彼女たち同士で何かをささやきながら。私がそういうことを経験するのは、ここだけである。なぜなら、ここでは私は自分の家にいるように感じるからだ。そして私の背の高さ、肌、目、gaijin としての外見にもかかわらず、皆がどこかで分かっているように思える。私はここに住んでいたのだ。昔、とても昔に。おそらく。
その別の人生で、もし私が日本人だったとしたら、私は芸者に出会い、彼女たちを知っていたのだろうか。侍だったのだろうか。歌舞伎役者だったのだろうか。田んぼで働く農民だったのだろうか。それとも、江戸時代に最も軽んじられていた階級である、ただの貧しい商人だったのだろうか。答えは分からない。しかし、既視感がほかのどこよりも強くなる場所がある。それは京都の大徳寺である。禅寺の集まりであり、その中でも特に私に語りかけてくる寺が一つある。とても小さく、とても簡素な寺だ。それでも、木の階段に腰を下ろし、熊手で整えられた石庭を眺めていると、私はもうそこを離れたくなくなる。

私は今、金沢にいる。ここでもまた、記憶のよみがえりは強い。とくに主計町茶屋という花街でそう感じる。金沢にある二つの茶屋街のうち、より有名なほうではない。浅野川の向こう側には、有名なひがし茶屋街がある。そこでは観光客の群れが、金箔で飾られたアイスクリームを買ったり、芸者を一目見られるかもしれないと期待しながら茶屋を見学したりしている。


今日、私の記憶はこの二つの町を漂っている。かつて多くの芸者を迎え、今もなお何人かの芸者を見かけることのある茶屋の並びに沿って。浅野川の両岸を結び、芸者たちが一つの茶屋街からもう一つの茶屋街へ移るために渡った、金沢の有名な木の橋の上で。着物をまとった多くの若い女性たちとすれ違う小路の中で。もちろん彼女たちは芸者ではない。観光客であり、多くは日本人女性である。その時代を一日だけ生き直し、気づかれ、見られ、写真を撮られることを、しばしばうれしそうに受け入れている。
私は芸者だったのだろうか。なぜそうでないと言えるだろう。すべてはあり得る。もともと芸者は男性だったのだから。

